KLM 日本就航70年の歩み

Japan 70th Anniversary

KLMオランダ航空は2021年12月7日で、日本就航70周年を迎えました。

世界で最も歴史ある航空会社として、今年10月7日に創立102周年を迎えたKLMオランダ航空は

日本とオランダの懸け橋として、飛び続けて70年。

これまでKLMオランダ航空を支えてくださった全ての皆様に厚くお礼申し上げます。

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December 7th, 1951

1951年12月7日

日本就航 今から70年前の1951年12月4日にアムステルダムを飛び立ったロッキードL.749コンステレーションは、フランクフルト、ダマスカス、バグダッド、カラチ、バンコク、マニラを経由する、いわゆる南回りで、全行程64時間、実飛行時間39時間10分で、東京国際空港(羽田空港)に降り立ちました。 KLMは日本に乗り入れたエアラインとしては、戦後6番目の早さでした。

December 7th, 1951

1954年

東京(八重洲)と大阪に事務所を開設 また、ヨーロッパの航空会社として初めて、日本人客室乗務員を採用

December 7th, 1951

1958年11月1日

DC-7でアンカレッジ経由で北極圏をとおる北回りのポーラールートを開拓、全行程30時間35分、飛行時間29時間35分と大幅に所要時間を短縮しました。これにより、従来の南回りと連結することで、世界一周ルートを完成させました。

December 7th, 1951

1960年

それまで日本線にも就航していたプロペラ旅客機のダグラスDC-7の後継機として登場した大型ジェット旅客機DC-8をKLMはヨーロッパの航空会社として初めて就航させると、瞬く間に世界はジェット機の時代を迎えました。 飛行機の象徴だったプロペラ旅客機は極限まで進化を続けてきましたが、さらにその2倍のスピードで、2倍のお客様を乗せて飛ぶことができるジェット機が登場し、プロペラ機は長距離国際線から姿を消しました。 同時期に登場したボーイング707と共に長距離大型機でジェット旅客機の優秀性を証明した両社は、すぐに短・中距離用中型機のジェット化を計画、ボーイングは3発の727と、より小型の双発の737、ダグラスは双発のDC-9を開発。KLMはDC-9を採用し、世界に先駆けて、多くの路線でジェット化を進めました。

JP 1962-1969

1962年 南周りが週2便、北回りが週2便に。 1969年 南周りが週2便、北回りが週3便に ステッカーの写真はそれぞれ、南周りでの赤道通過と北周りでの北極圏通過を記念して乗客に配られたものです

Japan 1971

1971年

世界で初めてジャンボの長距離型ボーイング747-200を導入。南周りが23時間45分に短縮 1970年代、圧倒的なキャパシティを持つジャンボの登場で、大量輸送時代が幕を開けました。 ボーイング747“ジャンボ”の前方胴体が2階建てになったボディは、前方を折り曲げて長尺貨物を収納する貨物機として開発された名残であり、この2階部分にも客室が配置され、1階部分は2本の通路を配した、最大横10列の座席配置により、最大500人以上というそれまでの2倍以上の乗客を運べるようになりました。多くの旅客を一度に輸送することと、それまでに比べて低燃費エンジンの採用で乗客一人あたりの運航コストを大幅に下げ、それが運賃に反映されて空の旅がグッと身近になりました。

December 7th, 1951

1972年

長距離型のワイドボディ機ダグラスDC10-30を世界で最初にKLMが導入、1973年には東京線の北周りにも就航いたしました。 当時は海の上を長距離飛ぶには3発以上のエンジンが必要という規則があり、それを考慮したDC-10では両主翼と尾部という特殊なレイアウトを採用、合計3発のエンジンを装備しました。 また、この時代にジャンボと共に主役を飾ったのはスチュワーデス。KLMはジャンボの導入と同時にスチュワーデスのユニフォームを刷新、機体のカラーリングともマッチする、「空の色をまとった世界でいちばん伝統あるエアライン」としてポスター等にも登場し、強力なアイデンティティを確立しました。

December 7th, 1951

1972年10月1日

フジテレビ にて「オールスター家族対抗歌合戦」がスタート。 優勝家族の賞品はKLMオランダ航空で行くバンコク旅行でした。 日曜日の夜8時というゴールデンタイムに萩本欽一さん司会で始まった番組は、毎週芸能人やその他著名人の家族5組が出場し、欽ちゃんの突っ込みありの“素人いじり”で爆笑トークを繰り広げた後に歌を披露、人気を博し、1986年まで続きました。番組のエンディングにはKLM飛行機の映像も流れ、「オールスター家族対抗歌合戦」といえば「KLMオランダ航空」と覚えていただける、KLMにとって沢山の方々に知っていただく大きなきっかけになりました。

December 7th, 1951

1978年5月

新東京国際空港(現 成田国際空港)が開港。 KLMオランダ航空も羽田から成田に移りました。 (写真提供:成田国際空港株式会社)

JAPAN

1982年  日本語の機内誌「ウィンドミル」がスタート。 その後、「ユーロスカイ」と名称を変更し、2016年まで続きました。 1986年 週4便全てが北周りとなり、南回りが終了。 1987年 成田-アムステルダム 直行便が就航。

December 7th, 1951

1989年

KLMオランダ航空創立70周年を迎えた1989年、ボーイング747-400を導入。 ”Queen of the Skies”や”Jumbo jet“の愛称で世界中のファンに親しまれたB747-400。 長いアッパーデッキや、翼の先のウィングレットが特徴で、当時最もお客様を運ぶことができた同機材は、すぐに成田線に導入され、2016年9月3日までの長い間、成田に就航していました。 惜しまれつつ、2020年10月25日にラストフライトを終え、全てのB747-400が退役しました。 また、1989年に公開された「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」では寅さんが成田からKLMに乗ってアムステルダム・スキポール空港経由でウィーンへ。KLM機内のシーンや、スキポール空港から柴又の実家へ電話をかけるシーン、スキポール空港でのKLMの機体がお楽しみいただけます。

December 7th, 1951

1994年9月7日

関西空港の開港に伴い、念願の大阪に就航いたしました。 就航記念のセレモニーは「いってらっしゃいませ」の文字とオランダらしいチューリップの絵が描かれたゲート。脇ではオランダのストリートオルガンが奏でるのどかな音楽。 和服の空港スタッフから搭乗記念のデルフト焼きコースターが配られました。

December 7th, 1951

1997年10月29日

名古屋(小牧)-札幌(新千歳)-アムステルダム線が週2便、ボーイング747-400で就航しました。機体には”Cities of Sapporo and Nagoya”の愛称が。 その後、2000年にはMD11で週4便に増便、2002年まで続きました。

December 7th, 1951

2004年5月5日 エールフランス航空と統合 2005年 エールフランス航空/KLMオランダ航空 大阪事務所が一緒に 2006年 エールフランス航空/KLMオランダ航空 東京事務所が一緒に

December 7th, 1951

2013年4月4日

福岡空港に就航。 ヨーロッパと九州を結ぶ、初の直行便としてボーイング777-200ERにて就航。 機体には“City of Fukuoka”の愛称が。 その後、福岡線は2016年1月4日まで続きました。

December 7th, 1951

2016年9月3日

成田空港発、ボーイング747-400の日本最終フライトでは、29年前にアムステルダム-成田ノンストップ便の日本発初便に乗務した航空機関士が、今回は機長として記念すべき任務にあたました。機材は、1階後方部が貨物室仕様の747-400コンビ(登録番号PH-BFE)でした。最後は、成田空港を離陸し翼を振って日本へ別れのあいさつをして飛び立っていきました。

December 7th, 1951

2019年10月7日

KLMオランダ航空 世界で最も歴史がある航空会社として、創立時より名前が変わらない航空会社として世界で初めて創立100周年を迎えました。 これから先の新たな100年に向け、意見広告”Fly responsibly”(責任ある航行)を発表。